ビューア該当ページ

弥生時代から古墳時代へ

93 ~ 93 / 660ページ
今から約二〇〇〇~一九〇〇年前くらいの時期には弥生時代も終わりに近づいて、農具の鉄器化が進行して石器がほとんど出土しなくなり、土器も文様がほとんどなくなり、器の種類も整ってくる。墓も、土器を使用したものから、溝をまわりに巡らした「方形周溝墓」が普及する。この現象は関東地方では短期間に急激に変わっていくのではなく、弥生時代後期(約二〇〇〇~一八〇〇年前)から古墳時代前期(約一七〇〇~一六〇〇年前)の約四〇〇年間に進んでいくのである。近畿地方では約一七五〇年前に、奈良県桜井市箸中山(はしなかやま)古墳(通称「箸墓(はしはか)」)に代表される最初の大型前方後円墳が築造されるようになると考えられており、この時期から「古墳時代」が始まるとされている。埼玉県では、約一七〇〇年前に東松山市諏訪山二九号墳・吉見町山の根古墳・児玉町鷺山(さぎやま)古墳などの前方後方墳が築造されるのが、最も古い古墳であり、近畿地方から少なくとも半世紀は遅れをとっている。その後もしばらくの間は、比企郡・児玉郡を中心とした県北地域に偏って古墳が造られる。これは当時の耕作地の開発が県北部に偏っていて、人口も多かったためである。宮代町にはこの時期の遺跡もあまり発見されていない。山崎山遺跡が分かっているにすぎない。ただし、この遺跡の内容は豊富であり、古墳の造られない県東部の古墳時代前期を考える際には欠くことのできない資料を提供してくれる。次章ではこの遺跡から分かったことを取り上げる。