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山崎山遺跡の鍛冶工房跡

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山崎山遺跡の鍛冶工房は、調査区の北側にあり、一辺が約二・五メートルのほぼ正方形をした小さな工房跡である。ローム面を約五〇センチほど掘り窪められており、ほかの住居跡に比べると掘り込みが深く、浅い柱穴が壁付近に不規則に配されている。炉跡が三か所確認されたが、鉄滓(てっさい)(鉄を溶かした後の残りカス)や鉄片の出土から遺構の中央部にある二か所が鍛冶関係の炉であることが明らかとなった。いわゆる生活に伴う炉は二〇×三〇センチほどの大きさで西側の壁付近にある。
 遺構の中央部に検出された鍛冶炉は二か所あり、西側の鍛冶炉を一号炉、東側を二号炉と名付けた。
 一号炉は、不整形で大きさは径六〇センチ前後、深さ約一〇センチである。炉内は高熱を受け、赤褐色をしている。炉の内外からは、多量の鉄滓が出土している。大きいもので長さ八センチほどの椀状をしている。鉄の付着した土器片二点も付近から出土している。また、炉の直上やその付近からは炭化材(木炭)も検出されている。
 二号炉は、一号炉の東側にあり、約三〇センチの径をもち、ほぼ楕円形をしている。一号炉と同様熱を受け壁は赤褐色や黒褐色をしている。炉内外から鍛造(たんぞう)剥片(鉄の微細破片)が多量に出土した。

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 こうした二基の鍛冶炉は、基本的に異なる点が二つある。その第一は、二号鍛冶炉は炉内の壁には数センチ幅の粘土が貼りつけられ形を整えているが、一号炉にはみられなかった。第二点は、一号炉は鉄滓が多く出土したが、二号炉の内外から微細な鍛造剥片が多量に出土している。そして、一号炉の付近からは羽口が、二号炉の東、壁付近の浅い窪みから砥石と台石が発見されている。このような性格の違いは、基本的に一号炉は鉄を溶かすための炉、二号炉は鉄製品の製作・加工のための炉であると言うことが出来る。このように、一つの工房の中で二つの異なる性格を有する炉をもつ鍛冶工房は少ない。なお、工房内から甕(かめ)、壷、小形台付甕、高坏(たかつき)等の土器も出土している。壷は、東海地方の系譜を引く土器といわれている頚部に帯状の粘土紐が施された土器があり、そういった地方との関係性もうかがわれる。