羽口は、外径約八センチ、内径四・五センチ、厚さ二センチを測り、長さは三センチほどしか残っておらず、実際の大きさははっきりしない。素焼きで、熱を受けた関係か傷みが激しい。鍛冶炉から西へ約二〇センチ離れたところから発見された。「日本書紀」には「天羽鞴(あまのはぶき)」という言葉が出てくるが、これはフイゴのことで鹿の皮を用いて袋状に作ったものといわれている。同じようなフイゴは、紀元前二五〇〇年前にエジプトなどでも使われていたようである。
台石は鉄を叩いて加工する際に用いられたもので、「金床(かなとこ)石」と呼ばれている。二号炉の近くから出土した。長さ一三センチほどで、半壊していた。石は大きな力が加わると割れやすいことなどを考えると小さな鉄製品の加工に用いられたものと思われる。
砥石は長さ約五センチで、鉄製品をつくる最終工程での「みがき」をかけるための研磨具である。材質は粘板岩の一種と思われ、両面、側面とも研磨の結果浅く窪んでいる。
では、この鍛冶工房でいったい何か造られていたのであろうか。
二号炉の中から、僅か二センチ余りの鉄片が一点発見された。また、長さ二~四センチほどのクギ状の鉄製品三点も北側の壁付近から発見されている。このクギ状の鉄製品はその形状から木製品などに穴をあけるための「キリ」の可能性が高い。これがすべてとはもちろん言う事はできないが、少なくとも炉内の「キリ」の出土から、それを作ったことは間違いない。一方、当工房内から台石(金床石)が一点出土しているが、その名のとおり素材が石であるところから、大きな力が加わると割れる恐れがある。したがって、「キリ」のような小形の鉄製品を造っていた事が、こうした事からも考えられるのではないだろうか。なお、この鍛冶工房の北西一〇数メートルの所にある同時期の住居跡からも鉄器片が多く出土しているが、小破片のためその内容は明らかではない。
1-51 鍛冶工房跡出土遺物