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コラム ヒシの実とモモの実

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 山崎山遺跡の鍛冶工房跡の北側から、鍛冶に携わった人が普段の生活に用いたと思われる炉が検出された。この炉の直上を中心として、先端の尖った炭化した実が多量に発見された。長さ三~四センチ程の大きさで、両端が尖っている。この炭化した実は、全体の形やこうした特徴からヒシの実であると考えられる。
 ヒシの実は、泥の中に根を下ろし、葉を水面に浮かべ、七~八月頃に小さな白い花を咲かせる。古くから食料として用いられており、江戸時代飢饉の時などには食料にして飢えをしのいだという。
 一方、こうしたヒシの実に混じって二個のモモの実(核果)も出土した。モモの実は直径二センチほどの球状をしたもので、やはり炭化している。モモは、落葉性の小高木で、原産地は中国黄河上流の地域と言われ、八珍果の一つとして栽培されている。四月に花が咲き、七~八月に実が熟する。中国では、古くから不老長寿の食べものと言われており、六世紀に記された「荊楚(けいそ)歳時記」にはモモには邪気、悪気を払う霊力があると信じられてきた。日本でも古い時代、木とともにこうした中国の信仰が伝わり、桃太郎伝説にみられるようにモモには不思議な霊力が潜んでいるという信仰がある。また、「万葉集」などの古歌にもしばしば詠われている。こうした、モモの実は、日本では弥生時代の遺跡から出土しており、そのころ日本に伝えられたものと考えられている。
 こうしたことから、当時(四世紀後半)、山崎山遺跡の付近は沼地が広がり、人々はヒシの実を採り食していたことが想像される。ムラの一角には、春モモの花が咲き、夏には実をつけた。きれいに咲いたモモの花をムラ人達はどのような思いで眺めていたことであろうか。
 なお、モモとヒシの実が一緒に出土していることから、それらが捨てられたのは七月から八月のむし暑い夏の頃のことであろう。

1-54 山崎山遺跡出土のヒシの実とモモの実