この埼西郡と太田荘の境界は、それぞれの領域の鎮守である久伊豆神社と鷲宮神社の信仰圏が明確に分かれることと、それに伴う河川や地形などの自然条件が存在するはずである。埼玉郡の場合は地形から考えると河川に境界が設定されていることが多い。
そういった意味で注目されるのが、隣接する白岡町の中をかつて流れていた「日川」という河川である。日川は新川用水の流路とほぼ一致する河川であったと考えられ、見沼代用水騎西町上崎地先から分水し、久喜市太田袋付近で近世初頭に開削された備前前堀川に落ちているが、それ以前はさらに南下していた。備前前堀以南は、久喜市から白岡町、そして蓮田市と岩槻市の境を南に流れ、古隅田川とともに元荒川に流れ込む川である。『武蔵国郡村誌』には野牛と高岩村(白岡町)の間には古新川(旧日川)が流れており、この川が境となっていたという。この日川東岸の村々は鷲宮神社を祀っているが、久伊豆神社を祀っている村は一つもない。一方日川西岸の村々ではこれと逆に久伊豆神社を祀っているが、鷲宮神社を祀っている村は一つもないのである。地形的に見ても、日川東岸の太田荘側は慈恩寺台地、日川の低湿地を挿んで埼西郡側は元荒川沿いに展開する台地と自然堤防から成り立っている。日川は享保(きょうほう)年間(一七一六~一七三六)以降起こった山城堀の開削に伴う度重なる争論によって、排水機能が低下し、宝暦(ほうれき)年間(一七五一~一七六四)以降新田開発の対象になっていった。現在、日川という河川はないが、この川が太田荘と埼西郡の境界をなしていたことは明らかである。
2-9 太田荘・下河辺荘、埼西郡範囲図
2-10 鷲宮神社・久伊豆神社分布図