下野(しもつけ)国の守護で、小山荘を本拠とする小山朝政(ともまさ)が、寛喜(かんぎ)二年(一二三〇)に嫡孫長村(ちゃくそんながむら)に所領を譲り渡した譲状に、「武蔵国 上須賀郷」とある。須賀郷に「上」・「下」があり、それがどの範囲を指すかということは、ここでは確認することはできないが、この資料から、鎌倉時代の須賀郷は、小山氏によって支配され、相伝されていたことがわかる。太田荘の開発領主太田行尊が、小山氏の先祖に当たることなどから、小山氏と太田荘との関係がうかがえる。小山氏は、南北朝期に小山城の外城として鷲城を築き、太田荘の総鎮守である鷲明神(鷲宮町)を分祀している。前章で述べたように、建久(けんきゅう)五年(一一九四)に幕府の直轄領となった太田荘の一部である「上須賀郷」が何らかの理由で、小山氏に与えられ、支配されていたと考えられる。
2-26 小山朝政譲状 (小山氏所蔵 小山市立博物館提供)
2-27 鷲城跡