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後北条氏の武蔵進出

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相模国小田原城(神奈川県小田原市)を本拠地とし、これまでに伊豆・相模の二国をその勢力下に納めた戦国大名北条氏(鎌倉時代の執権北条氏と区別するために以下「後北条氏」と呼ぶ)は、初代早雲(伊勢宗瑞(そうずい))の子で二代の北条氏綱が、大永(だいえい)四年(一五二四)、扇谷上杉方の江戸城を攻略、さらに天文(てんぶん)六年(一五三七)には、同じ上杉方の河越城をも奪取して、武蔵国への進出を確実なものとした。

2-35 後北条氏系図

 この新興勢力の伸長に対して、旧勢力である古河公方とそれまで対立していた扇谷・山内両上杉氏は連合して、天文十五年、北条綱成の籠(こ)もる河越城を攻めたが後北条方の夜襲によって敗北し、扇谷上杉氏は滅亡、管領山内上杉氏も武蔵国における勢力を失うことになる(河越夜戦)。以後武蔵国はほぼ後北条氏の勢力下となった。

2-36 河越夜戦の碑