ビューア該当ページ
目次
/
第二編 中世
/
第四章 中世の寺社と信仰
/
第二節 そのほかの信仰圏
六十六部聖信仰
212 ~ 212 / 660ページ
中世には、法華教信仰が盛んとなり、「法華経」六六部を書写し、全国六六州の霊場に一部ずつこれを納経する廻国の修行者があらわれ、彼らは六十六部聖(ひじり)と呼ばれた。彼らは日本全国を廻りながら、勧進元となる寺院に詣で、祈願の依頼者となる旦那を募った。
宮代でも、永正(えいしょう)十五年(一五一八)、西光院の前身となる光福寺の僧実栄が勧進元となり、旦那である正朝の依頼を受けた六十六部聖の十覚坊が納経した経筒が、石川県笈ヶ岳(おいづるがたけ)の山頂から発見されており、当地にも六十六部聖が盛んに訪れていたことがうかがえる。
2-62 笈ヶ岳出土経筒 ((独)東京国立博物館所蔵)