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弘法大師(高野山)信仰

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中世には高野聖(こうやひじり)と呼ばれる高野山の僧たちが、全国に弘法大師信仰を布教したこともあって高野山信仰=弘法大師信仰が各地で盛んとなった。
 宮代町周辺では、特に利根川対岸の下総国幸手領主である一色氏が古河公方との関係からその信仰を盛んに行い領民にも奨励した関係から、現在でも一色氏と関係の深い高野山の塔頭(たっちゅう)桜池院(養智院)との関係が続いている檀家信徒も少なくない。
 天文(てんぶん)七年(一五三八)には、桜池院の旦那場として幸手三十三郷とともに太田荘も寄進されており、(「高野山養智院文書」)この関係から、対岸の宮代でも弘法大師信仰にかかわる事績を幾つか確認することができる。
 その一つに、西光院では、毎年春に御影供(みいく)行事が行われるが、この行事は弘法大師信仰から起こっているものであり、その名残を今にとどめるものであろう。