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家康の寺領安堵(あんど)

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天正十八年関東に入部した家康は、新しい領地の基盤を固めるためにさまざまな施策を実施している。そのうちの一つに旧来の有力寺社への領地の安堵・寄進がある。
 家康は入部の翌年の天正十九年十一月付で一斉に朱印状を寺社に与え、領地の安堵・寄進を行っている。一部の大きな寺社には朱印ではなく、花押(かおう)を書いた判物を与えているが、領地を安堵した文書を総称してここでは朱印状という言葉で統一する。

3-2 徳川家康朱印状 (西光院所蔵)

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 この年、家康から朱印状を与えられた寺社は埼玉県内で一一二を数え、このうち寺院は九四を数える。一〇〇石以上の領地を与えられた寺社は、鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)(鷲宮町)の四〇〇石を筆頭に、氷川神社(ひかわじんじゃ)(さいたま市)が一〇〇石(後に三〇〇石に加増)、慈光寺(都幾川村(ときがわむら))・慈恩寺(じおんじ)(岩槻市)・竜穏寺(越生町(おごせまち))・竜淵寺(熊谷市)・甘棠院(かんとういん)(久喜市)の七寺社である。これらの寺社を除く一〇五寺社の領地の平均は約一四石で、多くの寺院は一〇~一五石の領地を与えられている。