百間村(もんまむら)の西光院には天正十九年十一月に武蔵国太田庄(むさしのくにおおたのしょう)之内五〇石の領地を与えられている。また、『新編武蔵(しんぺんむさし)風土記』には「中興二世日誉(にちよ)、東照宮の御帰依ありてしばしば召しよせられ、その頃拝領の御茶碗今も寺宝とせり」とある。この御茶碗は現在でも寺宝として大切に保存されており、粟田焼の名品である。また、拝領した家康の画像を神影として東照宮を祀(まつ)っていた。東照宮は明治二十七年(一八八四)の火災で焼失したが、家康の画像は現在でも寺宝として大切に保存されている。これらのことからも西光院と家康の関係の深さをうかがい知ることができよう。
3-3 建前図面並坪数之進上書
(西光院所蔵)