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元禄の総検地

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このころになると幕府の財政の困窮が顕然化していた。そこで五代将軍綱吉(つなよし)は収入の確保を行うため、領地の検地を実施している。このことを元禄の幕領総検地と呼んでいる。また、旗本の知行替えを実施しており、蔵米取五〇〇俵以上の旗本には、知行地を与えている。このことを元禄の地方直しと呼んでいる。
 元禄の総検地は元禄十年前後に大規模に実施され、武蔵国では元禄七年(一六九四)に足立・埼玉郡に、同八年には多摩・荏原・橘樹・葛飾(えばら・たちばな・かつしか)・豊島郡で行われている。当町では『新編武蔵風土記』の記載では、蓮谷(はすや)村・久米原村・和戸村(わどむら)が元禄三年に八木仁兵衛(やぎじんべえ)・松平清三郎(まつだいらせいざぶろう)、百間村・国納村が元禄八年に酒井河内守(さかいかわちのかみ)によって検地が実施されていることが確認できる。しかし、折原家に残る「武蔵国埼玉郡百間村検地水帳」では、元禄十年十二月に酒井河内守の家来が検地総奉行として検地を実施したことが確認でき、『新編武蔵』の記載に誤りがあることが確認できる。また、蓮谷村は加藤家に、久米原村は岡安家にそれぞれ検地帳が残されており、元禄三年に検地が実施されていることが確認できる。

3-8 元禄の総検地を実施した範囲

 元禄の地方直しは、元禄十年七月二十六日に五〇〇俵以上の蔵米取の旗本に知行地を与えている。対象となった旗本は五四九人で、武蔵国が二三六人で最も多く、そのなかでも埼玉郡が五〇人、葛飾郡が三三人と当町を含む埼葛地域に集中している。当町では国納村が高木家(たかぎけ)、森川家(もりかわけ)、戸田家(とだけ)に、久米原村が渥美家(あつみけ)、細井家(ほそいけ)に与えられている。

3-9 旗本高木氏・森川氏・戸田氏支配領域

 その後も当町の村々は、旗本に与えられ、和戸村の榊原家(さかきばらけ)、山本家(やまもとけ)、須賀村(すかむら)の小笠原家(おがさわらけ)、百間村の森川家、松波家(まつなみけ)などが該当する。

3-10 百間村検地帳 
(折原家文書)