『寛政重修諸家譜』によれば、戸田家は、戸田市郎右衛門直良の次男輝道が起こした家で、正保(しょうほう)元年(一六四四)十二月二十五日に稟米(りんまい)三〇〇俵が与えられている。その後、寛文六年十二月二十三日に稟米三〇〇俵を加えられている。その後、他家の家老を勤めることとなったため、幕府からの稟米は子の憲直が継いでいる。憲直には子がなかったため、弟直保(なおやす)が養子となり、元禄十年七月十一日に遺頷を継いでいる。同二十六日には稟米を改められ、武蔵国埼玉郡と伊豆国田方郡のうちに采地を与えられ、このとき国納村を支配するようになったと考えられる。その後、享保元年一月十七日に直保は没し、その遺領は直之(なおゆき)が継いでいる。寛保二年(一七四二)に直能が、寛政五年には直著が継いでいる。
3-11 戸田喜右衛門御知行惣百姓田地水帳(遠藤家文書)