ビューア該当ページ

旗本細井家

249 ~ 249 / 660ページ
『新編武蔵』の久米原村の項に「今は一橋殿領知と堀田相模守・渥美九郎兵衛・細井金之丞の知る所なり」と記されている。武蔵国埼玉郡に知行地を持ち、金之丞を名乗る細井家は、細井勝正(ほそいかつまさ)を祖とする細井家と考えられる。
 『寛政重修諸家譜』によれば、勝正は家光に仕え、寛永十六年十二月十三日に稟米三〇〇俵を与えられている。貞享(じょうきょう)元年(一六八四)十二月二十一日に稟米三〇〇俵を加えられている。その後、同三年十二月十日に勝長(かつなが)が継ぎ、元禄十年七月二十六日に稟米を改めて武蔵国埼玉郡と相模国大住郡に六〇〇石の領地を与えられた。このとき久米原村を支配するようになったと考えられる。宝永二年(一七〇五)十月十八日には武蔵国の領地の一部を上野国邑楽郡に移され、享保十七年七月四日に没している。遺領は勝峰が継ぎ、同二十年には勝美(かつよし)が、宝暦五年には勝房(かつふさ)が、天明七年には勝豊(かつとよ)が、寛政五年には勝征(かつまさ)が継いでいる。

3-12 旗本細井氏・渥美氏支配領域
(東粂原村佐倉藩領含む)


3-13 久米原村屋敷御検地水帳 
(岡安家文書)