『寛政重修諸家譜』によれば、もともとは吉見姓を名乗り、政長(まさなが)のときに山本姓に改めたとある。二代の知候は綱吉が将軍となるのと同時に幕府の家臣となり、稟米二〇〇俵を与えられている。天和三年には新たに三〇〇俵を与えられ、元禄十年七月二十六日に稟米を改められ、下総国結城郡に五〇〇石の領地を与えられている。その後、同十五年二月二十三日に知英が遺領を継ぎ、同十六年に領地の一部を武蔵国埼玉郡、下野国都賀郡に移されている。このとき和戸村を支配するようになったと考えられる。明和三年(一七六六)十二月十九日隠居し、家督を知久(ともひさ)に譲っている。
3-14 旗本榊原氏・山本氏支配領域