久喜鷹場の範囲は3-28によると現在の埼葛地区北部、北埼玉郡、古河、館林に至る広大な範囲になり、御殿のあった久喜はその南の外れにあたる。宮代町の地名としては「国納村」「和戸橋」「はすや村」「堂佛村」「須か村」が確認できる。
御鷹場返上後の貞享元年(一六八四)に作成された「御鷹場村数之覚」によると幸手領、百間領、岩付領、騎西領・羽生領、久喜領で一三一か村の村名が記されている。宮代町の地名としては久喜領として「和戸村内ニおきの山村」「国納村内ニ八川内村」、岩付領として「久米原村」、百間領として「須賀村」「道佛村」「蓮谷村」「西原村」「戸崎村」「中村」が確認できる。道仏村(後の百間中島村)、戸崎村(後の百間東村)西原村(後の百間村)等の古い地名や沖の山村、八川(河)内村などの私称の村も確認でき宮代町の村を考える上でも非常に貴重な資料といえる。
3-28 久喜御鷹場絵図 (仙台市立博物館所蔵 久喜市公文書館提供)