近世中期になると、村の行政事務は文書によるやりとりがシステム化された。3-45は、町域の主要文書群から近世初期から享保期までの元号別文書数を一覧にしたものである。和暦の方が私たちになじみが深いので元号別に区切ったが、西暦でほぼ二〇年ごとに区切れるよう工夫した。古文書の残存率があるので、あくまで傾向の把握にすぎないが、それでも近世中期の天和~元禄ごろから文書量が増加し、享保期に飛躍的に延びていることが分かる。天和以前は文書の内容をみると検地帳と年貢割付状である。土地台帳や貢租関係の文書は、村にとって後日に根拠や証拠となる文書であるとともに、領主にとっても重大事であったため、近世前期から文書作成のシステムが整えられていたといえよう。一方、天和以降享保期に至ると、村に関わるさまざまな文書が成立してくる。村政一般に文書化が進んだのである。それらは、次第に領主とのやりとりだけではなく、村と村の間や村民相互の間でも文書が交わされるようになっていく過程でもあった。ここでは、主に領主支配に関わって作成された御用留や五人組帳についてみてみよう。
3-45 町域の元号別文書数一覧
(慶長期~享保期)