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宮代の道しるべ

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道しるべに刻まれた地名から、道の行き先を確認してみよう。
 町域の近世道しるべの行先は、杉戸・粕壁・久喜・岩槻・幸手・騎西・菖蒲・鴻巣(いわつき・さって・きさい・しょうぶ・こうのす)など宿場・城下・町場の地名が多い。遠く下総国関宿(しもうさのくにせきやど)の地名を刻むのは、天保十四年(一八四三)百間一庵坊に立てられた馬頭観音像である。こうした町場では月に六度市が開かれ、付近の人々が集いにぎわう場所であった。
 杉戸・粕壁・久喜・岩槻・幸手などの地名は、宮代の道が通じている御成道、久喜道、粕壁道および日光道中の行き先である。高岩(たかいわ)や上野田(かみのだ)は、百間や須賀・東粂原・西粂原(ひがしくめはら・にしくめはら)から日光御成道へ出る場所にあたるので、御成道(岩槻・幸手)への道案内といえよう。騎西・菖蒲・鴻巣・関宿(せきやど)などは、宮代から直接行き着く町場より、さらに先にある町場の地名である。篠津は、菖蒲へ向かう道の途中にあたる地名である。
 宮代町外では、これらの地名のほか、慈恩寺の例が多い。現岩槻市にある天台宗の華林山最上院慈恩寺は、中世から坂東三三所観音霊場の第一二番で著名な寺院である。札所巡りの便をはかるため、地名として多く刻まれたのだろうか。『埼葛の道しるべ』(埼葛地区文化財担当者会報告書第二集)で報告された、埼葛地区(埼玉東部、旧南埼玉郡・北葛飾郡域)の近世道しるべ四六二基、行先地名一五〇三例のうち、慈恩寺(じおんじ)地名が一二九例と最も多い。宮代町域を越えた埼玉東部地域でも、慈恩寺が行き先として刻まれることが多かったのである。また、二例ある鷲宮(わしのみや)は鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)の門前町であり、同社は中世太田荘惣鎮守といわれる古社であった。

3-79 宮代町道しるべ分布図(『埼葛の道しるべ』より)

 一方宮代町内の地名では、切戸(きりと)と和戸(わど)がある。切戸は百間村内の集落で、村内に分散する諸集落を結ぶ道の行先地名といえよう。正確には「切戸道 かすかべ」と刻まれているので、切戸を通り宿場町粕壁へ至る道であった。和戸は日光御成道が通った村であり、町域の村と村を結ぶ道、および御成道へ至る道の行先地名である。
 また、野道・野良道も宮代町内の道である。特に行き先を刻む必要のない村内の道や作場道・耕作道のことであろう。
 このように、近世宮代の道しるべから、①町域の村々から日光御成道、日光道中へと至る道、②直近の町場、およびさらに遠方の町場へ至る道、③町域の村々を結ぶ道、④村内の集落を結ぶ道、⑤野良道といった近世宮代を通った道の姿が想起される。視座を町外に移すと、①・②は杉戸宿から各町場へ至る道であったともいえよう。そして、これらの道の機能を村人たちの眼からみると、町場へ作物の売り出し・運搬や買い物、遊びに出かけたりした道、耕作や生活など日常利用された道、寺社参詣や旅行、出府(しゅっぷ)(江戸へ出ること)など遠方へ出かけるとき利用した道、となるであろう。

3-80 道しるべの行先一覧
(『埼葛の道しるべ』より)