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コラム 道しるべ

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 道しるべとは、道の行先を記した道案内のこと。今日私たちが思い浮かべるのは、道路案内標識のような道案内専用の道しるべであろう。しかし、今に伝わる近世の道しるべには行き先だけを記したものは少なく、むしろ庚申塔や地蔵、観音など、村人の信仰によって造立された石像に行先を刻む場合が、圧倒的に多かった。こうした主像や主銘をもつ道しるべのことを、単独の道しるべと区別して併用道標と呼んでいる。
 3-109は、享保十七年に造立された浮き彫りの地蔵菩薩座像である。正面座像下に「享保一七季八月日、和戸村吉岡氏」と年記、造立者名が刻まれ、左右にひらがなで地名が書かれている。向かって右側には「右 くき きさい わしのミや道」、左側には「左 いわつき道」と刻む。町域の道しるべでは最も古い例である。一体どのようないわれで地蔵様を建てたのか、興味深い。
 町域の近世道しるべはすべて庚申塔(五例)、地蔵菩薩(五例)、馬頭観音(三例)、成田不動(四例)、四天王(一例)、道祖神(一例)といった神仏の石像に刻まれた併用の道しるべである。これらは講や組といった近世村内の小集落の人々によって祈願・勧請され造立されたものであった。もっとも、行先だけを記した道しるべの多くは木柱であったと推測され、朽ち果ててしまい今日まで伝わらなかったことを考慮に入れておく必要があろう。また、現在地と原位置にも注意が必要である。年代的には、写真の享保十七年を初見とし、化政期から天保期、幕末にかけて多く造立された。このうち天保十一~十三年、弘化三年には成田不動の造立が目立つ。成田講の興隆をみることができよう。しかし、行先地名には成田山(なりたさん)や成田道はみえない。近隣の慈恩寺などがみられる。同じように信仰を集めた寺院でも、遠方隣国の成田山と埼玉東部に位置した慈恩寺とは異なっている。道しるべの地名は、あくまで造立地が属する地域内に限定されており、それは当時の人々の地理感覚、距離感覚を示すものと思われる。

3-109 道しるべ 
(西方院所蔵)