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松永坊

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百間村に所在し、宗派は黄檗宗(おうばくしゅう)である。牛島村(東京都墨田区)弘福寺の末寺で、星谷山といい、本尊には阿弥陀如来を祀る。坊の由来は、元和(げんな)年中(一六一五~一六二四)に松永弾正がこの地に至り、当地に居住を定め、寛永年中(一六二四~一六四四)に創立者松永源太左衛門(まつながげんたざえもん)(松永弾正の子孫)の墓所として庵を造立したのが始まりである。坊号は、創立者松永源太左衛門の名前から「松永坊」と名付けたという。坊地四畝二七歩、別当神明社地一五歩、庚申塚四畝二三歩は除地となっている。
 坊は、当初星谷(字山崎)にあったが、中興開山清光智恩の代に宿(しゅく)(字山崎)の現在地に移転している。宗派も真言宗に改宗し、村内青林寺の末寺となり、名称も「松永庵」と称し本尊も釈迦如来を祀るようになった。なお松永源太左衛門の居住した付近を「源太山(げんだやま)」と称している。また、星谷の坊跡は、「ショイジ」と称されている。

3-114 百間村絵図にみられるかつての松永坊所在地
(折原家文書)