3-119 大聖院歴代住職一覧
大聖院は、安永年間(一七七二~一七八一)ごろから青林寺の隠居寺になったことが知られる。また、皆空の碑文は、鹿室村(かなむろむら)の漢学塾々長である新井桐蔭(あらいとういん)が二六才の時に作った碑文である。また、西原村(西粂原村)、江戸神田多町二丁目、江戸瀬戸物町などの人々により、大般若経典(だいはんにゃきょうてん)(唐三蔵法師玄奘奉詔訳)鉄眼本が二部寄進されている。
新四国八十八ヶ所の第七〇番で明王山大聖院と称し、ご詠歌は「はやミさきまうせの ふねのかぢまくら うきしつむよを よそにゆめミて」と詠われている。