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目次
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第三編 近世
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第五章 江戸時代の宗教と信仰
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第二節 村々の寺社の由来
金剛寺
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須賀村に所在し、宗派は曹洞宗である。白岡村興善寺(こうぜんじ)の末寺で、大慈山と称し、本尊は十一面観音を祀っている。開山の存清は文亀(ぶんき)元年(一五〇一)一月二十四日没すと伝えている。
新四国八十八ヶ所の開闢(かいびゃく)に須賀村の渋谷丈助(しぶやじょうすけ)、戸田源治郎(とだげんじろう)が参画しており、この新四国八十八番の第七一番で須賀村医王山真蔵院と称され、ご詠歌は「ほとけにハちかくしるしの あれバこそ ただありがたや けふのわかかけ」と詠われている。