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姫宮神社

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『新編武蔵風土記』によれば百間村の鎮守(ちんじゅ)で、中村の宝性院持ちで、ご神体は釈迦如来像の鏡、文珠菩薩像の鏡、普賢菩薩像の鏡三面であるという。社前に掛けてあった鰐口には「敬白 武州太田庄南方百間姫宮鰐口一口 旦那大夫五郎 応永廿一年甲午三月日」とあり、古くからの創立であることが知れる。創立に関する社伝は、桓武天皇の孫の宮目姫が下総国へ下向の途中、当地に立ち寄った際に、紅葉の美しさに見とれているうちに病となって倒れて息絶えてしまった。後に、当地を訪れた慈覚大師円仁が、この話を聞いて、姫の霊を祀ったのが始めという。一説にはその塚を「姫の塚」と称していたという『延喜式』神名帳にある武蔵国埼玉郡宮目神社は、この地というが、騎西町にある宮目神社との説もある。往古は、百間領惣鎮守と伝える。
 祭神は、『神社明細帳』によれば多記理姫命(たぎりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、多記津姫命(たきつひめのみこと)を祀る。社殿は、本社が横九尺の縦九尺、拝殿が横四間の縦二間を数える。境内地は、六畝五歩で除地となっている。本殿基礎に「正徳五乙未四月吉日 作者 野口半兵衛」と刻まれている。また、拝殿の海老虹梁(こうりょう)には、「文久三年小春吉祥日」の造立年を刻む。また、享保二年銘の「ゴメンビシャク」と称される柄杓があり、オサゴやお賽銭などを納めるのに用いたと伝えられている。
 拝殿には、多数の額、絵馬が奉納されているが、西国巡礼、百観音巡礼成就、富士巡礼、東海道の川越え、俳句などが特筆される。

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