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八幡神社

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八幡神社の創建については、大坂夏の陣で豊臣方についていた高橋七郎兵衛が、戦に敗れ、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊をいただいてこの地に帰農し、八幡宮の分霊を作神として、自分の屋敷内に祀っていたが、この地の人々からも作神として崇敬されるようになったので、宝永年間(一七〇四~一七一一)に百間東村の西光院を別当寺として、当地の鎮守になったと伝えている。祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀る。境内地は三〇六坪で、西光院の御朱印地の一部である。なお、明治時代には、百間中島村の村社となった。
 本殿内には、「宝暦六丙子年(一七五六)三月吉祥日 施主高橋七郎兵衛 奉建立若宮八幡宮」と箱の裏に墨書された中に納められている木造八幡大明神像が一体安置されている。また、「奉納八幡神社祭礼 天保六乙未年(一八三五)秋八月吉日 武州百間領若宮村子供中」銘の幟旗(のぼりばた)が奉納されている。