弘法大師八十八ヶ所は、寛政十年(一七九八年)に、南埼玉郡、北埼玉郡、北葛飾郡の三郡の八十八ヶ寺院をもって開闢(かいびゃく)されたが、その目的は、「そもそもこの八十八箇所と申す五幾七道の宗地にして、阿土予讃の四国を遍路し、難行苦行の徳を以逐一に菩提心をおこす、是をうらやむといへとも、此国をして老若ともにおはひたきを哀ミ、彼地を爰(ここ)に移し諸人ニ〓を泛路し普く菩提心を起さしむるのみ」と認している。願主は、外野村の野村甚兵衛、平野村の岡安幸右衛門(江戸居住)の二人、世話人は東大輪村五人、八甫村五人、新田大輪村一一人、西大輪村一三人、外野村一二人、上川崎村一二人、下千塚村三人、遠藤内村四人、上千塚村三人、下川崎村四人、牛村五人、内国府間村三人、権現堂村二人、上吉羽村二人、木立村三人、上宇田村三人、下吉羽村三人、平野村三人、長間村三人、長間新田三人、遠野村九人、天神島村四人、大蔵村八人、菩薩村(大蔵村と同人)、上高野村(大蔵村と同人)、安戸村六人、上戸村三人、平須賀村(上戸村と同人)、下高野村四人、下野村二人、茨島村二人、杉戸横町二人、杉戸新町二人、倉松村四人、清地村二人、中島村二人、栗原村三人、青毛村四人、大田吉羽村六人、野久喜村四人、古久喜村四人、久喜新町二人、久喜本町八人、上早見村三人、上内村六人、葛梅村三人、鷲宮村四人、南大桑村三人、川口村三人、南大桑原村六人、南篠崎村四人、久下村四人、花崎村三人、中妻村三人、九本寺村三人、上清久村六人、下清久村四人、江面村四人、下早見村三人、青柳村二人、大田袋村二人、野牛村二人、高岩村三人、粂原村二人、須賀村二人、国納村二人、和戸村三人、西原村二人、金谷原村二人、前原村二人、西原村二人、西村二人の計七二か村、二五七人が努めている。道法(みちのり)は、一番から八八番まで一八里三九丁二〇間に及んでいる。
明治維新に際し、廃寺や合併などにより八十八ヶ所の内一九か寺が廃跡となってしまったので、清地の浜田清左衛門ほか九人(廃跡再興世話人)により、明治三十六年十二月に再興され、今日に及んでいる。
3-131 弘法大師八十八ヶ所一覧(1)
3-132 弘法大師八十八ヶ所一覧(2)