村の鎮守である神社には絵馬以外にも多数の奉納物を見ることができる。その代表的なものが「講中」が奉納した伊勢太々講や成田講、雷電講等と刻まれた石造物である。この中には角柱型のものもあるが、狛犬や御手洗石、灯籠、石仏、みちしるべなどに刻まれたものもあり旅の安全を守った鎮守へのお礼行為として神社に奉納したようである。
旅から戻った一行は神社への奉納の他にも行なわなければならないことがあった。それは、村人の代表として旅に行ったことから御守りや御札などを配ることである。新井家や加藤家に残されていたお札によると北は宮城県の塩釜神社、西は広島県の厳島神社のものが確認されている。御守りについては天保十二年(一八四一)の百間村折原清次郎の旅日記によると二月十六日に讃岐金毘羅山で御守り代一匁二分と箱代七三文を支払ったことが確認できる。これらのものを代参講の構成員や餞別をもらった人々に配ったのであろう。
3-137 姫宮神社絵馬 熊野詣