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目次
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第三編 近世
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第六章 村の変化
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第一節 災害と救恤(きゅうじゅつ)
旱魃の被害
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天保元年は、十月下旬より近来稀な旱魃であった。逆井百間村新田・逆井中島村新田・逆井蓮谷村新田の三新田では、麦作立ち枯れの様子を幕府代官所まで訴え届けた(「乍恐以書付御訴奉申上候」岩崎家文書)。このときはたびたび大風が吹き荒れたことも麦が立ち枯れた要因であった。三新田の名主は、当新田は田地が粗いため少々枯れ残った麦まで土が吹き被ってしまったと述べている。
3-141 天保2年近来稀成旱魃・麦作立ち枯れニ付届書
(岩崎家文書)
天保十五年には、夏からの旱続きで旗本池田氏領三か村の畑作が、全て違作になってしまった。ことに大豆がちょうど実入りの時節にあたったため、立ち枯れ同様の大豆もあり、その旨を旗本役所へ届け出た(「乍恐以書付奉申上候」岩崎家文書)。
このように、水害が稲作に大きな損害を与えたのにくらべ、旱魃は麦・大豆など畑作物の立ち枯れ被害が大きかったようである。