江戸時代の農民の生活は、幕府の農村統制の中で厳しい制限のもとで営まれていたことが「慶安御触書(けいあんのおふれがき)」などをとおして知ることができる。幕府の農村統制を知ることのできる「慶安御触書」は慶安二年(一六四九)に発布され、全部で三二条からなるものである。最近の研究によれば、その成立年代には疑義(ぎぎ)があるとされているが、その趣旨は後の五人組帳に取り入れられ、さらに木版刷りものが広く流布していることからも江戸時代の生活規範の一つとして位置付けられよう。このなかから、農民の日常生活について書かれている箇所を抜き出してみると次のとおりである。
一 耕作に精を入、田畑の植様同存に念を入、草はへざる様に仕るべし、草は能(よ)く取り、切作の間へ鍬入仕り候得ば、作も能く出来、取実も多くこれあり、付、田畑の境は大豆、小豆などを植え、少々たりとも仕るべき事。
一 朝おきを致し、朝草を刈り、昼は田畑耕作にかかり、晩には縄をない、たわらをあみ、何にてもそれぞれの仕断なく仕るべき事、
一 男は作をかせぎ、女房はおはたをかせぎ、夕(夜)なべを仕り、夫婦ともにかせぎ申すべし、然ばみめかたちよき女房成共、夫の事をおろそかに存じ、大茶(おおちゃ)をのみ物まいり遊山(ゆさん)ずきする女房を離縁すべし、去ながら子供多くこれありて、前廉恩をもたる女房ならば格別なり、又みめさま悪く候共、夫の所帯を大切にいたす女房をば、いかにも懇に仕るべきこと、
一 百姓は、衣服の候、布木綿より外は、帯衣裏にも仕る間敷事(まじくこと)、
一 春秋灸(しゅんじゅうきゅう)をいたし、煩候はぬ様に常に心掛くべし、何程作(なにほどさく)に精を入れたしと存じ候ても、煩候得ば其年得ば其年の作をはずし、身上つぶし申すものに候間、其心得一なり、女房子共も同前の事、
慶安二年丑二十六日 『徳川禁令考』
『慶安御触書』では、農民は田畑の耕作に精を出し、草刈にも念を入れ、大豆などを植付て田畑境まで無駄なく利用すれば、収穫も豊かになると説いている。そして朝は草刈、昼は耕作、晩は縄ないや機織りして一日中一生懸命に働くように定められている。また、夫婦仲良くお互いに励み、病気をせず質素な生活を送るようにも定められている。
折原家に残る「五人組前書」の記載を見ると、「耕作常々精出し作之間は男女共ニ相応之稼いたし可申候、若作々無精ニ而徒ニ暮候者於有之五人組内ニ而吃度異見可申候」とある。この五人組帳は、全七〇条からなるもので、弘化(こうか)四年(一八四七)に書き写されたものであるが、条文に付された註書(ちゅうしょ)によれば、延宝(えんぽう)七年(一六七九)のお触れによって追加された条文であることが分かる。