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農民の食生活

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農民の食生活についても規制を厳しくし、寛永二十年(一六四三)二月の「土民仕置条々」によると「農民の食べ物は常々雑穀を用いて、みだりに米を食べないこと。また、村々でうどん、切麦、素麺、饅頭、豆腐など五穀の費えになるものを作って商売してはいけない。さらに町に出て、酒を買って飲んではいけない」とも命じている。
 また、『慶安御触書』では、「酒や茶を買って飲んではならない、麦・粟・稗・菜・大根・そのほか何でも雑穀を作って米を多く食いつぶさない。飢饉の時を考えれば、大豆の葉・あずきの葉・ささげの葉・いもの葉などむざと捨てるのはもったない」とあり、家主ども下人などにいたるまで「ふだんはできるだけ粗飯を食べよ」とある。ただし、「田を植え、稲を刈り、又は骨を折ったりするときはふだんより少し食をよくし、たくさん食わせて使うようにせよ、そうすれば精を出して働くものである」とある。これは、麦、菜、稗などの雑穀を多く作り、米を多く食べないようにすることを規定し、さらに酒や茶を買って飲まない、飢饉に備えて、大豆、小豆、いもの葉、ささげなども捨てないようにとも規定しているものである。
 また、ことに「たばこは腹のたしにならないばかりか吸いだすと病みつきになり、ひまをつぶしたり、金がかったり、火の用心にも悪く、得になることはなにひとつない」としている。
 農民が御馳走を作り、米を食べたのは、ハレ日である正月やお盆、五節供、あるいは冠婚葬祭や講中の寄合など特別な日に限られていた。それもごぼう・大根などの畑作物を中心にせいぜい豆腐・昆布・かつおぶし・干魚といった御馳走であった。
 3-163は嘉永四年(一八五一)の新井家文書の「嘉永四年十一月十五日 荘厳妙遊大姉二一回忌 施主四郎左衛門」の記録である。この記録には、二一回忌の費用や購入した品物が記されている。この中から、食料品をみると当時の二一回忌という節目における儀礼時の食生活の一端を垣間見ることができる。砂糖、醤油などの調味料、箸、包丁のほかに食材として、葱、かんぴょう、焼きふ、三つ葉、のり、椎茸、蓮、長芋、せり、にんじん、豆腐などがみられ、当時これらの食材が流通していたことが分かる。また、梨が二つとあり、これは供物としてあげられたものであろうか。このように、江戸時代の後期になるとさまざまな食物が出回っていたことが分かる。

3-163 荘厳妙遊大姉21回忌にみる品物