会沢家は、代々葛梅村(くずうめむら)(鷲宮町)の名主を勤め、村の開発に力を尽くした家である。この家の文書に文化七年(一八一〇)十一月の「家務歳中行事」として記されており、名主という格式のある家の行事として見ることができる。ここに記載のある内容は当時の一般的な農家にすべて当てはまるものとはいえないが、当時の家で行われていた年中行事の一端を知ることができよう。この中から、家の行事である年中行事を抜粋し、宮代町と比較したものが3-169である。
3-169 鷲宮町会沢家と宮代町の年中行事比較
なお、断片的ではあるが、当町でも岩崎家の嘉永七年(一八五四)「病気諸掛り覚帳」に、十三夜、十日夜、いひす講(恵比寿講)、八日節供、年越しの行事名を見ることができる。詳細については不明であるが、おそらく会沢家と同じような行事が行われていたものと思われる。
また、毎月の例として朔日、十五日、二十八日には仏参して、墓所の掃除につとめるとある。