新政府が中央集権国家体制を確立するために最初に着手した事業が、明治四年四月四日の「戸籍法」の制定である。江戸時代には武士・町人・百姓などの身分ごとに旦那寺(だんなでら)が証明を行う宗門人別制度があったが、家を単位として性別・職業・年齢などを記載した住所地ごとの編制によって実施されている。戸籍の編制に当たっては、「四民平等」理念に基づき、「全国人民ノ保護ハ大政ノ本務」として政府による国民の把握に努めている。調査の開始は、明治五年であったため、この年の干支から「壬申戸籍(じんしんこせき)」と呼ばれ、翌六年三月に完成している。
4-4 戸長等役職一覧
戸籍編制に当たっては全国を大区・小区(だいく・しょうく)に分け、小区ごとに戸長(こちょう)・副戸長(ふくこちょう)を置き戸籍事務を執らせている。浦和県では、明治四年七月に県下を第一区から第二〇区に区画し、翌五年三月に従前の区を廃止し、新たに管内を二四に区画している。また、戸籍事務だけではなく民政一般の事務も取り扱い、地域によっては区を分割する小区を設置したが、翌六年六月に小区を一切廃止している。
なお、町域においては国納村、和戸村が第七区に、他の村は全て第六区に編入されている。