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町村合併

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連合戸長役場が設置されても、単に共通の事務を共同処理するものであって、村は独立した存在であった。明治十九年末の全国の町村数は七万一〇〇〇余りで、その七割は戸数一〇〇戸以下、住民が一人もいない村も八〇一もあった。そのため翌二十年三月、政府は独立した自治のできる町村の造成を目指し、町村郡市区画標準案を各県知事に内示し、各府県の郡市区町村の編成案の作成を命じている。
 埼玉県では、各町村三〇〇戸以上のものは独立とし、それ未満の町村は、富裕で執行能力のあるなど特別な理由があるものを除き、地形ならびに従来の関係などを斟酌(しんしゃく)して三〇〇~四〇〇戸の町村に合併させる方針を樹立した。また、合併が支障なく実施できるように、分村しての合併は認めず、新町村名は合併が大町村と小町村の場合は大町村名を、大小に差がない場合は折衷した名前を付けるなどの規定を設けている。
 明治二十一年四月、町村制の公布に伴い埼玉県は独立した自治を行える町村の造成を行うため、各郡長を召集して意見聴取を行い、同年七月には町村合併の基本事項を定めている。この合併基準を見ると、原則として現在の戸長役場所轄区域内の町村で合併し、新町村の規模は三〇〇~五〇〇戸を標準とし、新町村名は合併町村中最も大きな町村の名称を用いることを原則としている。また、意見対立があった場合にはそれぞれの町村の名称を折衷で用い、合併ができないときは組合村を設立することとされている。
 同年八月二日には各町村の資力を調査し、合併見込みの町村の交通、地勢、風俗、習慣、合併理由、沿革、議員・総代人などの意見、役場位置、新町村名選定の理由など合併見込み案の作成を命じ、郡役所を中心に合併作業を推進している。南埼玉郡では、郡内の戸長のうち地理などに明るい一〇人余りを顧問とし、新町村の区域を仮定し、この案を郡内戸長が同席する会議で修正し、各戸長が管轄する町村議員や総代人などに諮問し、異論のない場合には町村議員や総代人の連署をもって合併承認の意を県へ上申している。