当町における合併は、百間村、須賀村とも南埼玉郡長間中進之の諮問(しもん)どおり実施され、明治二十二年四月一日に百間村、須賀村が誕生した(巻末資料参照)。なお、百間村では、その後、青林寺(しょうりんじ)に置かれていた村役場から、大正十四年十二月に大字百間西原組地内に新庁舎を建設し移転した。昭和五年には七つの大字と小字を廃止し新たに一二字を設置した。これは元禄八年の百間村の分村以後、「碁石(ごいし)が散布するが如く」といわれる程、大字境が不明瞭であったことから、村政において不都合が生じたため実施した。一方、須賀村は合併当初、西粂原の宝光寺に役場が置かれていたが、明治四十年に大字国納字丸屋に移転し、さらに、大正三年に現在の和戸公民館の場所へと移転した。
4-8 百間村役場