写真の「ヘボン膏」は、昭和五十八年(一九八三)に岩槻市の松村氏が発見した「ヘボン膏」で、昭和三年(一九二八)七月製のものである。ヘボンが伝授した明治当時のものとはかなり時代が下がるが、商品としての体裁は整っている、袋の表紙には「商標 HEPBURN PASTA 方名和戸の膏薬」とあり、その下に『勲三等 医学博士ヘボン先生違方 故父医師篠原大同直伝 ヘボン先生は父の先師なり。先生常に本剤を一切の皮膚病に用えられる。尚父も用えたり余も多年自家製剤として皮膚疾患に愛用するに実に偉効あり。故に父は之れを和戸不欺膏として広く世に提供せり、父生前本剤を不変化性たらしむ可く余に希望せられしを以て漸く変化せざる様完成して今回之を発売す。島田万吉」との由来書きが記されていることから、本膏薬が篠原大同の娘婿にあたる島田万吉の手によるものとわかる。なお、この由来書の後ろには「偽物あり・此の商標と袋中に父の遺言書なきものは偽物と知られよ」と書かれていて本膏薬以外にも類似品が売られていたことを臭わせる。
また、袋の裏側には主治効能と定価金弐拾銭、製造発売元の東京市牛込区山吹町の島田産婦人科小児科医院製剤部の連絡先と印が捺印されているほか、袋の中には先述の篠原大同の遺言書写が一通及び、地方一手販売所「埼玉県南埼玉郡須賀村和戸 海老原武商店」と県東部を中心として、広く東京・茨城・栃木・群馬・千葉を含む八二か所もの販売取次所が列記された処方箋が同封されていて、この膏薬の歴史と人気の高さを物語っている。
現在は、巨峰で有名な宮代だが、昭和初期までの名物として「和戸の膏薬(ヘボン膏)」が存在していたことを記憶の一部にとどめて置くこともまた、宮代の歴史を語り継いでいく上で一つの妙薬であろう。
4-16 ヘボン膏 (松村氏所蔵)