ビューア該当ページ

須賀小学校の沿革と校舎建設

511 ~ 512 / 660ページ
明治六年(一八七三)五月に西粂原宝光寺を校舎とし、西條学校と称した学校が須賀小学校の前身であった。西條学校は、同十年七月に久米原学校と改め、同十九年四月には和戸にあった和戸学校と合併している。同二十二年の町村制の実施により須賀村立久米原尋常小学校と称し、同三十五年四月には校舎が狭くなったため、須賀真蔵院の一部を借用し分教場としている。大正五年(一九一六)四月十六日には校名を須賀尋常高等小学校とし、昭和十六年(一九四一)には国民学校制の実施により校名を須賀国民学校と改称し、昭和二十二年四月一日に法律第二十六号により校名を須賀小学校と改称し、現在に至っている。

4-33 久米原学校(旧大聖院)配置図(岡安家文書)

 現在の須賀小学校の開校記念日は四月十六日であり、須賀村立久米原尋常小学校から須賀尋常高等小学校と改称した大正五年四月十六日に由来するものである。この日は須賀小学校では新校舎の落成を祝って開校式を挙行し、分教場を廃止して高等科を併設している。新校舎の建設に当たっては、明治四十四年八月に「基本財産蓄積及管理規定」を定め、校舎建設資金の積立を行い、大正四年十一月二十九日に工事に着手している。経費合計は九七二六円にも達し、七人の工事委員を選び、建設を実施している。翌五年三月十八日には旧校舎より移転し、同年四月十六日に開校式を挙行したのである。翌六年四月十六日には、開校記念日を四月十六日とする事を決定し、校旗を制定している。また、大正七年には児童文学者巌谷小波(いわやさざなみ)先生を呼んで講演会を行い、同先生に校歌の制作を依頼し、同十年四月には校歌歌詞・楽譜が認可されている。
 その後の校舎などの整備状況を見ると、大正十四年五月二十二日に校門を建設する。また、校舎の増築を行い、昭和四年二月十一日に落成式を挙行し、同年六月十五日には物置の改築を、同年七月二十日には増築校舎用の井戸を設置している。同十一年四月には校庭の改修を、翌十二年四月十一日には奉安殿(ほうあんでん)の竣工式を挙行し、翌十三年十月二十六日に御真影を下付されている。

4-34 須賀小学校(昭和20年代)