学齢児童の就学状況は、「学校沿革誌」で明治四十二年度から昭和二十一年度までの推移を知ることができる。学齢児童数が最も少なかったのは大正五年度の四七四人で、最も多かったのは昭和十一年度の六五八人であった。就学率を見ると、男子は大正五年度に初めて一〇〇パーセントとなり、同十年度に一人の不就学者を出すが、ずっと一〇〇パーセントである。女子は男子と比べ就学率が低く、明治四十二年度には六人の不就学者があった。翌四十三年度、同四十五年度、大正二、三、四年度は一〇人を越えていた。その後は、大正五年が九人、翌六年度は六人、翌七年度は四人、翌八年度は二人となり、その後は一人か二人の不就学者となっている。昭和四年度に初めて一〇〇パーセントとなるとその後はずっと一〇〇パーセントを維持している。
4-35 久米原小学校・須賀小学校児童数の推移
4-36 久米原小学校・須賀小学校就学率の変遷