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産業組合

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日清戦争後の農村経済の変化に対応し中小農民を保護する必要から、国もしくは政府は明治三十三年に社団法人である産業組合に関する法律(産業組合法)を制定し制度化した。組合の事業は、預金による利殖、産業資金の融資、物資の購入販売、勤倹貯蓄の奨励や農業経営の合理化などを主眼としていた。同三十九年産業組合法の改正が行われ、他事業の兼営が認められるようになった。日露戦争後は、組合の設立が強く勧奨され、設立数も増加していった。南埼玉郡では、同四十一年二月に南埼玉郡、北埼玉郡、北葛飾郡三郡合同の産業組合講習会が岩槻町にあった南埼玉郡役所で開催された。同年九月組合設立に関する訓令が発せられ、各地域で産業組合が設立されていった。
 須賀村では、明治四十一年一月十一日に渡辺惣十郎ほか一一人が有限責任須賀東部信用組合設立の申請を行い同月十七日に許可書が交付されている。
 各村に設立された産業組合の、相互の連絡協調を図るため明治四十五年に大日本産業組合埼玉支会南埼玉部会が結成された。

4-53 百間村産業組合通常総会開催通知(折原家文書)