明治二十一年(一八八七)に市制・町村制が制定され、翌二十二年適正な人口と資力を持つ適正規模の自治体の設置を目的としていたが、特に日露戦争後は、国民の愛村心に訴えて、村ぐるみで村内の自治振興を図ろうとする運動を展開した。この運動を〝地方改良運動〟という。具体的には、基本財産の蓄積、良風善行の奨励、市町村是の実践をはじめ、幾つかの指針を掲げ、多くの模範町村の実例を示して各町村の奮起を促した。明治四十一年十一月に発布された戊申詔書(ぼしんしょうしょ)は、明治天皇が国民に対し階級的協調と奢侈(しゃし)を戒めたもので、地方改良運動を推進させる上で大きな役割を果たした。このような国民的運動は、県および郡の行政指導のもとに町村で展開された。
南埼玉郡役所は、大正五年南埼玉郡地方改良調査会が組織され、郡内の各町村から委員を選出し、講習会、講話会、展覧会などの事業や地方改良に関する調査研究を実施している。