ビューア該当ページ

耕地整理

539 ~ 541 / 660ページ
大正時代での南埼玉郡内の耕地整理は4-55のようになる。町域に関係した耕地整理事業は、大正元年十二月二十四日から始められた百間村耕地整理組合がある。この耕地整理地の耕作が集まり「百間村耕地整理地耕作組合」を組織した。

4-55 南埼玉郡内の耕地整理


4-56 百間村耕地整理組合記念写真(伊草氏所蔵)

 この耕地整理により、江戸時代から連綿と続いてきた百間村の土地の所有形態が変わった。特に百間村の大字および小字区域が変更となったが、このときの変更理由は、「吾々百間村ハ、古来単ニ百間ト称セシモ、改租ノ当時夫々耕地ノ名称ヲ以テ大字ト為シタルニ因リ、隣保大字ヲ異ニスル不便アリ、今ヤ耕地整理工事ノ施行ニ依リテ、益々耕地整理法第三十二条該当ノ事項ヲ生スル結果了所成、之レカ境界ヲ整理スルノ案アルヲ以テ、別冊ノ如ク大字百間字川島ノ区域ト為シ耕地ノ区画ヲ整然タラシメントスルニ由ル」とあり、昭和三年六月に施行されている。また、百間村は大字が入り乱れ、非常に不便をきたしていたことから、大字を変更し、字に整理を行った。昭和三年に村議会にて決定し、県へ申請を行った。埼玉県報に告示されたのは、昭和五年二月八日県報号外埼玉県告示第三号であった。昭和四年十二月十四日付で南埼玉郡百間村長川上定之丞が埼玉県知事細川長平に出した大字廃止及字区域変更並改称ノ義ニ付許可稟請には、「従来公称スル字名ハ容易ニ改称変更スヘキモノニ非サルモ本村内ニ於ケル現行字名並其区域ハ別紙理由書ノ通リ錯綜紛乱甚シク到底此侭放置スルヲ得サルノ現況タリ仍テ昨秋行ハセラレタル 今上陛下 御即位ノ御大典ヲ奉祝スルノ記念事業トシテ之カ整理革正ヲ企図シ漸ク調査終了ヲ告ケ別紙関係書類ノ通リ従来ノ本村内大字ノ名称ハ之ヲ廃止シ新ニ字ノ名称並其区域ヲ改定シ昭和五年二月十一日紀元節ノ佳晨ヲトシ之ヲ実施致度候条特別ノ御詮議ヲ以テ御許可相成度 右稟請(りんせい)候也」とある。新字地域内の戸数・人口・面積は、4-58のようになる。

4-57 新字計画図 (昭和5年)


4-58 新字地域内戸数・人口・面積(昭和5年)