この徴兵令では、戸主の嗣子、養子および承祖の孫、独子独孫など家の維持の中核となる者は免疫とされ、また代人料二七〇円を支払った者も免疫とされたので、実際に徴兵されたのは一般庶民の二、三男が多かった。徴兵を忌避しようとする者は、いかにして戸主やその相続者になるかの策を弄したが、甚だしい者は自分の体に傷をつけるなどして忌避する者もいた。政府は明治七年一月に「徴兵ノ理由ヲ申諭シ以テ忌避スル事勿ラシム」との布達を発している。このとき埼玉県では政府の意を体して県告諭を発し、「男子の兵に徴るゝ八人の誉れ民の義務たればよろしく上の仰せを守り国恩に報ずべきもの也」と諭している。こうしたことから政府は、明治十二年、十三年、十六年、十九年、二十二年に徴兵令を改定し、徴兵の徹底に努めている。
4-63 徴兵令調控(折原家文書)