こうした徴兵によって編成された軍隊が最初に戦ったのは、明治十年に起きた西南戦争で、町域からも出征している。須賀の遠藤繁吉は、同七年徴兵制により宇都宮分営に入り、現役中の同十年西南戦争が起きたので、同年三月東京を発し、神戸で編成された征討別働隊第二旅団尋転第五旅団に属し、三月十四日福岡城にて伍長代理となり、四月十七日熊本県下の新鍋頓、四月二十日保田窪頓の戦いに参加したが、保田窪頓の戦いで負傷し、熊本軍団第四病院に入院し、同年十二月東京に後送され、翌年帰郷し、同十二年八月兵役免除となった。また、百間の野口吉右衛門は、明治八年佐倉歩兵第二連隊第三大隊第三中隊に編入され、同十年西南戦争に従軍し、翌十一年三月凱旋したのであった。