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警察制度

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明治政府は、明治元年一月十七日三職七科の官制を整備した。浦和県では、警察関係事務は刑法局と監察局で分掌し、刑法局は聴訟、断獄、徒場、囚獄を、監察局は捕亡、巡邏を専掌した。監察局は本庁のほかに板橋(東京都)、粕壁(春日部市)、鴻巣、羽生に出張所を設置した。本庁は浦和(さいたま市)、蕨、大門(さいたま市)、鳩ヶ谷、大宮、上尾、深作(さいたま市)の七組合会所、板橋出張所は板橋、川口、岩淵(飯能市)の三組合会所、粕壁出張所は粕壁、久喜、鹿室(岩槻市)、袋山(越谷市)、篠津(白岡町)の五組合会所、鴻巣出張所は鴻巣、桶川、大和田(吉見町)、冑山(大里村)、千代(江南町)、鉢形(寄居町)、上中条(熊谷市)の七組合会所、羽生出張所は、羽生、加須、中新井(吉見町)の三組合会所を担当した。同四年七月監察局は刑法局に合併した。
 埼玉県では、各行政区の御用取扱所に民費をもって捕亡方付属六人ずつを置き、区の戸長の監督下で警察事務を執行した。明治六年四月十日従前の各御用取扱所の警察事務を分離して警察付属屯所を新設した。このときに第九区屯所(久喜町)、第五区屯所(粕壁町)、第六区屯所(杉戸宿)、第二〇区屯所(岩槻町)が設置された。翌七年十二月各村の身体壮健な者を警察付属協応方(後の邏卒協応方)に任じて警察体制を補強している。同九年一月従来の警察出張所を警部出張所と改称して五か所、警察附属屯所を巡査屯所と改称して二三か所、新たに巡査分屯所五か所を新設し、その所轄割を定め警部巡査を配置した。この出張所・屯所の名称も翌十年一月二十六日警察署・分署と改称され、第五粕壁屯所は幸手警察署粕壁分署、第七杉戸屯所は幸手警察署杉戸分署、第一〇久喜屯所は幸手警察署久喜分署、第二二岩槻屯所は第四課直轄岩槻分署となった。同十五年(一八八二)六月二十四日警察署・分署の統合整理を行い一五警察・一四分署にまとめた。町域は、百間東村、百間中村、百間村、百間西原組、百間金谷原組が岩槻警察署粕壁分署、和戸村、国納村、西粂原村が幸手警察署、百間中島村、蓮谷村、須賀村、東粂原村が幸手警察署杉戸分署に属していた。

4-64 杉戸警察署(大正5年)