衛生行政も、このころは県および警察の指導のもとに統一的に行われた。伝染病予防が強く叫ばれるようになったのは明治時代に入ってコレラがしばしば大流行したことによる。コレラは、伝染病では最も死亡率が高く、悪性のものは発病後僅か数時間で死亡するため別名を〝コロリ〟とも呼ばれていた。埼玉県では明治十二年と同十九年に大流行した。コレラに次いで防除対策として最も力を入れたものに種痘があり、埼玉県では同九年種痘普及規則を定め、積極的に奨励したので次第に普及した。同十三年埼玉県では地方衛生会を組織し、郡役所、警察署、町村により衛生行政を推進した。同十九年埼玉県は、町村衛生組合設置規則が公布され、各町村内に三〇戸単位の衛生組合を結成させ、衛生事情の向上に努めた。同二十四年三月市衛清潔法施行心得が定められ、衛生組合長の仕事は、下水、便所、芥溜などの改造・修繕などの監督施行、飲料水の適不適の管理、種痘接種励行、伝染病の予防など衛生の向上には特に意を用いた。