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電灯の開業

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明治四十四年粕壁町(春日部市)に火力発電所を設置し、東武鉄道粕壁駅を基点として国鉄東北線大宮駅を結ぶ電気軌道を布設する鉄道部門と、粕壁、岩槻、杉戸、久喜、幸手、上高野(杉戸町)、百間、幸松(春日部市)の五町三村に電灯電力を供給しようという電気部門から成る計画が岩槻電気軌道株式会社によって計画された。翌四十五年三月岩槻電気軌道株式会社は資本金四五万円で設立され、同年四月電灯電力供給事業の許可が下りた。大正二年五月の会社設立登記には、電灯電力の供給地域が岩槻町、杉戸町、百間村、幸松村の二町二村に変更されている。翌三年十二月二十九日岩槻町、杉戸町、堤郷村(ていごうむら)(杉戸町)、幸松村の電灯架設工事が竣功し、二三五〇余戸の家々に電灯がともった。同八年一月の電力供給区域は、柏崎村(岩槻市)、川通(かわどおり)村(岩槻市)、和土村(岩槻市)、慈恩寺村(岩槻市)、須賀村、宝珠花村(庄和町)、富多村(庄和町)、南桜井村(庄和町)、杉戸村、堤郷村、高野村となっている。岩槻電気株式会社は、浦和町(さいたま市)などに電力を供給していた埼玉電灯株式会社に合併され新会社は資本金九五万円の大会社となった。その後越ヶ谷電灯と加須電気が合併してできた帝国電灯株式会社と埼玉電灯株式会社が合併し帝国電灯株式会社となった。
 ところが、電灯のある生活は、ランプの明かりを頼りとする生活に比べて、比較にならないほど便利になったが、電気料金は安くはなかった。そこで料金を少しでも安くしてほしいとの声が次第に高まり、全国各地で電気料金値下げ運動が行われた。大正十二年十一月五日当該地域の有志は、電気料金値下げ期成同盟会を結成し、岩槻町友楽座で大演説会を開催した。また、動力使用者が、動力料金低下期成同盟会を組織し、翌十三年帝国電灯株式会社浦和支社に対し料金値下げの運動を行っている。