昭和二年(一九二七)一月社会民衆党の北足立支部が結成され、同四年一月社会民衆党埼玉県連合会へと発展していった。同二年五月労働農民党埼玉県支部が結成され、さらに同年二月には日本労農党北足立支部が発足した。同三年七月日本農民党、日本労農党、労働農民党が合併して無産大衆党を結成、同年十二月日本大衆党と改称、同四年二月埼玉県支部が結成されている。昭和五年七月日本大衆党、全国民衆党が全国大衆党を結成した。同六年七月全国大衆党、労農党、社会民衆党が合同して全国労農大衆党が結成された。同七年七月社会民衆党と全国労農大衆党が合同して社会大衆党となったが、昭和十五年七月大政翼賛運動により社会大衆党は解党となり、埼玉県連合会も解散した。