駅の改修工事の際に、支柱として使用されていた開業当時のレールが発見された。「1887 TOBU」と記され、さらに縦線が八本あり、東武鉄道が開業された明治三十二年八月に製造されたものであることが分かった。
杉戸駅開業によって、人と物の流れがそれまでとは変わり、道路の状況に大きな影響を及ぼした。そこで、新たな道路建設が必要となってきた。「折原家文書」に残された道路建設予定図によると、停車場(杉戸駅)から直線に旧日光道中まで「杉戸設計ニ係ル仮道」として破線で記されている。日光道中の宿場として発展した杉戸の町場と、杉戸駅を結ぶ道路が計画され、建設されたのである。
この道は、現在の東武動物公園駅東口の駅前通りであるが、杉戸駅開業の翌年明治三十三年五月に、この道路と橋(古川橋)が完成した。この道路は停車場道とよばれ、多くの人やものが往来した。同三十五年に発行された『埼玉県営業便覧』から当時の杉戸駅前通りの様子を知ることができるが、駅前通りが開通して二年後には、料理屋、白木綿屋(しろもめんや)、菓子屋、理髪店、荒物屋や待合茶屋などもみられるようになった。古川橋を渡った杉戸町にも商店が建ち並ぶようになり、この道路に沿って市街地が形成された。
4-75 停車場道建設予定図
(明治時代)(折原家文書)
江戸時代から宿場として栄えた杉戸の町場には、北葛飾(かつしか)郡役所や杉戸税務署、警察暑などが置かれ、北葛飾郡の中心として発展していた。また、中井(なかい)銀行杉戸支店や多く商店があり商業も盛んであった。停車場道は、杉戸の町場と杉戸駅を結び、さらに鉄道で東京方面と結ぶという重要な役割を担って発展したのである。