庶民の足となった乗合自動車(バス)の路線は、杉戸駅―蓮田駅間にも運行されるようになった。当時は、東武鉄道などの大手以外にも地域の有力者が乗合自動車経営を行っていたが、杉戸駅―蓮田(はすだ)駅間の路線は、蓮田の長谷川家が経営していた。
このバス路線に関しては、当時の資料も残されておらず、明らかにできない点も多いが、聞き取り調査によると以下のようであったという。
杉戸駅―蓮田駅間のバス路線は、駅前―農協―百間新道―赤松浅間―太田新井―お玉様―蓮田駅が停留所で、一日四往復運行されていた。現在でも道幅が狭い箇所があるが、当時は道が狭く曲がりくねっていたため、運行には困難があったようである。バスは、現在のような大型バスではなく、マイクロバスのような車両で、二〇~三〇人乗りであったという。
4-76 かつての百間新道(中村氏所蔵)
なお、昭和十年当時は、百間村内には個人所有の自動車はなく、営業車が六、七台あったという。
現在のように各家庭に自家用車が普及するのは、高度経済成長期以降のことであるが、細長い町域の中央を東武伊勢崎線が縦断している宮代ではバス路線が発展せず、現在東武動物公園駅東口が、関宿(千葉県)・境(茨城県)方面へのバスのターミナルになっているだけである。