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国民精神総動員運動

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昭和六年(一九三一)九月十八日、満州事変の勃発に端を発した日本と中国の戦争は、昭和十二年七月七日中国北京郊外蘆溝橋付近での戦闘を契機として、全面戦争へと拡大した。さらに、昭和十六年十二月八日全世界的な規模となった太平洋戦争へと突入した。埼玉県内でも約三五万人が戦争に召集され、戦病死者約四万六千人を数えた。町域でも、太平洋戦争では二一六名の戦病死者を数えた(埼玉県市町村誌第十八巻)。
 昭和十二年七月に発生した日中戦争が拡大・長期化するにしたがい、政府は国民に対し総動員を呼びかけるために、中心機関として国民精神総動員中央連盟を結成した。都道府県では知事を委員長とする官民合同の地方実行委員会を組織した。市町村では市町村長が国民精神総動員の趣旨を人々に浸透させるという指示であった。
 埼玉県では同年十月九日に地方実行委員会を開き、同月十三日から十九日までを国民精神総動員強調週間とし、生活改善、物資節約、派遣軍人家族慰問、献金献品、国債応募、冗費節約、貯蓄奨励などの具体的活動を決めている。この運動を推進したのが市町村常会、町内会常会、農村部常会、隣保班であった。同十三年五月五日国家総動員法が施行されると、南埼玉郡行政事務会は、同年七月二十日から始まる夏期半休の廃止、銃後の支援、水害対策に万全を期することを決めた。同十五年九月に町内会、農村会の整備要綱が発表されると、冠婚葬祭の様式簡素化が提示され、運動の一つとなった。