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大政翼賛運動

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昭和十五年七月、政府が国防国家の建設などを目的とする基本国策要綱を策定すると、国民精神総動員運動は発展的に大政翼賛運動へ移行した。大政翼賛運動は、万民翼賛、一億一心、職分奉公をスローガンとした。同年十月、既成政党は解散し大政翼賛会が創設され内閣総理大臣が総裁となった。埼玉県では同年十二月十二日に大政翼賛会埼玉支部が結成され、翌十六年三月に県が組織要項を市町村に示し、町村長を支部長にして支部の結成が推し進められた。昭和十七年ころの町村の活動は、次のような戦争遂行の協力体制のものばかりであった。
 一、軍事援護強調週間ニ関スル件
 二、標額達成ニ関スル件
 三、青壮年登録及労務動態調査ノ件
 四、金属類廃品回収実施ニ関スル件
 五、家族人員数申告ニ関スル件
 戦費調達の一つとして納税組合、貯蓄組合などの組織化が推進された。昭和十七年四月三十日の衆議員選挙は、投票した人に対しては〝翼賛投票〟の証を渡し、それを各家の間口に貼らせ、貼っていない家には「貴イ皇民ノ義務ヲ果サナカッタト云フ不名誉」なことになるからといって投票を呼びかける徹底したものであった。そのため、大政翼賛会の応援した候補者は全員が当選した翼賛選挙であった。
 この運動の大きな担い手として、同十六年十二月に南埼玉郡翼賛壮年団が結成され、町村でも次々と結成された。壮年団は二一歳以上の男子で組織され、団長、副団長、理事は県の団長が指名することとなっていた。目的は、団則に「本団ハ大政翼賛会ノ指導下ニソノ一翼トシテ地域職域ニ於テ率先大政翼賛運動ニ挺身スルヲ以テ目的トスレ」とある。同十七年二月六日、粕壁中学校で南埼玉郡翼賛壮年団主催の大東亜戦争開戦一周年記念壮年団大会が開催されている。

4-78 太平洋戦争詔書(折原家文書)