昭和二十二年度には、生徒数、男一〇五人、女九一人、合計一九六人、翌年には二一九人、二十四年二三二人、そして、校舎の完成した二十六年には二三一人であった。クラス数は記録に無いが、昭和二十九年度は各学年二クラスと記録されている。予算は、昭和二十二年度では一四万七七一六円、二十三年度二九万二八五〇円、校舎の建設された二十五年度は四四六万一〇〇〇円、翌年には五五万二九七一円となっており、約四〇〇万円近くが学校建設費に充てられた。
学校発足当時、問題があると見られる戦前の図書や記念集など焼却が命ぜられ、教材不足の中、小学校の一室で勉強が始められた。教科書も新聞紙を綴ったようなものであったという。食料難時代、畑仕事も教育の一環として行われたようである。
4-92 須賀小学校航空写真(昭和20年代)(渋谷氏所蔵)